愛情と矛先

君の強さは偉大なものだ

推しが死んだ話

二個目の記事がこれってなんだよって感じですが、

ずっともやもやしてたことを文章にしたら、とてもすっきりしたのでどうせなら見てもらおう。のやつです。

一つ目の記事にも書きましたが

私は今、若手俳優さんのファンをしています。
彼のことを書きとめておきたくて、

始めたばかりのブログなはずなのですが、
とりあえず、

私のひとつ前の推しの話を聞いてほしい。


前の推しはV系のバンドマンだった。
(バンド名は書かないけれど、読めばすぐわかると思うので察してください)
バンギャの方ならわかっても らえるかと思うが、
V系は、いまやAK○さんやらと同じくらい、
握手会やらインストやらチェキやらをつけてCDを売っている。
 私の推しのバンドも例外ではなかった。

中でも、推しはものすごく営業が得意で、記憶力もずばぬけてよかった。
すぐに私の名前を覚えてくれたし、
ファンレも何度も読んでいると言ってくれたし、「この前のファンレのあれさ、」と話しかけてくれたり、郵送で送った切手の柄さえ覚えていた。
毎回髪型、服やメイク、カラコンすらも褒めてくれた。
東京に遠征したときは、
「大好きだよ。」
と言って抱きしめてくれたこともあったし、
「どうしてうにちゃんのようなかわいい子が俺のことをすきなのかわからない」
「これからも好きでいて、俺はうにちゃんがいてくれたら頑張れるから」
などという言葉がすらすら出てくる人だった。
47都道府県インストの最終日に
「よくがんばりました」って私が 頭をなでたら、
涙ぐみながら
「そんなこと言ってくれるのうにちゃんだけだよ、俺頑張ったよ」
と言いながら、手を頬にすりすりとすりつけてもっと褒めてとすがってくれた。
そんな彼が大好きだった。
彼との握手のために、徹夜厳禁のアパレルブランドのコラボの
整理券をもらいに終電で大阪に行って
始発の時間前まで友人とカラオケボックスで時間をつぶした。
ほしくもないださい服を5万円分も買って、整理券を貰った。

当時自分が働いていたブランドの服をあげたら、
その日の夜に出かけるときに着てくれて、
次の日のライブのアンコールは
いつもツアーTを着ているはずの彼がそのTシャツで現れた。
そのツアーの間に何度もそのTシャツを着てくれた。
 
バンドは私が想像していた以上に売れた。
握手券はいつのまにか全員との握手ではなくなり、
CDを2タイプ買ってつく握手券1枚につきメンバー一人との握手になった。
勿論私は推しにしか並ばなかったし、
推しの列が一番最初に列が切れて終わってしまうので、何度もループした。
「俺の列短くてごめんな、もっと頑張るからずっと見てて。」
そう言ってくれた。


さらに人気が出た彼らの握手会は抽選になった。
大阪のインストにシングル30枚分応募したが当たらず、
1口だけかけた広島のチケットが当選していて、
譲渡不可本人確認書類がいるものになったため、遠征するしかなくなった。
当日、のどが枯れて、体調が優れない中、握手会に行こうとしたら、
咳がひどくなり駅のトイレから出られなくなった。
乗り継ぐはずの電車に乗れなくて、急遽タクシーに乗った。
どうにか会場に着いたが、
彼の前に行くまでマスクは一時もはずせなかったし、
龍角散のど飴を一袋食べきっても、声が出ないかと思った。
1年ぶりにあった彼は
「久しぶり!うにちゃん!!声どうしたの、え、でもいつもと違う、かすれてるのもかわいい!すき!!」
と褒めてくれた。
往復の新幹線と、タクシー代で3万近くかかった。
握手はきっと30秒もなかった。
帰りの新幹線の記憶なんてなかった。
結局、2日後に病院に行ったらインフルエンザだと言われた。
熱が全くなかったとはいえ、非常識すぎた。
3万円かけて、どうしても彼に会えないのは嫌だった。
感覚が狂っていたんだと思う。
 
その後、さすがにメンバーが握手会での対応に疲れたのか、
CDがゴミになっている事実に耐え切れなくなったのか、
CDに握手券をつけるのをやめた。
そして私は、推しと会えなくなった。
ライブは大好きだったし、勿論行っていたけれど、
300人以下のライブハウスで楽しんでいたものが
アリーナクラスのライブが当たり前になってしまうと
さすがに物足りなかった。
FCで取ったチケも、最前のときもあったが、ひどいときは逆最前。
勿論、認識なんてしてもらえない。
いくら手紙を書いても読んでいるかの確認すらできない。
接触でどうにか保たれていた私の熱は一気に下がって行った。
それでも4年近く彼だけが好きだった。

その後、FCツアーに握手券がつくことになった。
また大阪のチケットは当たらなかった。
当たったのは第3希望の名古屋。
その頃、職場でセクハラやらパワハラにあい転職を考えていた私には
正直遠征するほどの熱や精神力がもう残っていなかった。
そのFCツアーの入金期限日に私は今の推しと出会った。
もう入金しなかった。
 
結果的に、ツアーに行かないことにしたのは正解だった。
そのツアーの最中に推しが結婚したのだ。
ファンに一番に報告する、とかいう筋すら通さず、
謎に新聞にすっぱぬかれた。
朝のニュースで見たとき信じられなくて、怒る気持ちにもなれなかった。
その事実がわかったとき、数少ない私の同担仲間たちは怒り狂っていた。
みんな私よりも大金を積んでいるギャばかりだったので
怒って当然と思って眺めていた。
FCツアー初日にマネージャーが結婚したと大騒ぎしておきながら、
当の本人はもっと前に結婚していた。
結婚したのはどうやらファンの中では有名な散々匂わせをしてきた女の人らしいということだった。
バンギャの気持ちを一番わかっているよ、
みたいなフリをしておきながら、
発表することもできたはずなのにしなかったのは、
ただでさえ人気のない色恋営業の自分が結婚したとなったら握手列がいろんな意味でやばい、
ということをわかっていたからではないのか?ということ。
営業だとわかっていても大好きと言われることが幸せだったから。
怒っているというよりも悲しかった。空しかった。
信用されていなかったんだ。
自分が結婚しても、ついてきてくれるって思われていなかった。
だからファンに最初に言えなかったんだよね。
その事実が発表されてからもFCツアーは続いた。
風の噂で彼の握手列だけ、更にものすごく人が減ったこと、
それでも彼の列に並んでいた子の中に彼のオキニがいて、
「奥さんの目を盗んで、夢の中でこっそり会いに行くね」
的な営業をして顰蹙をかったときいた。
 
いまだにCDは捨てられないし、曲は大好きだ。
そもそも、他のメンバーには罪はない。
ただ、ひとつ変わったことがある。
どのテレビを見ても、そのバンドは3人組に見えるのだ。
大好きだった彼は死んでしまった。
いくら彼がテレビでアップでぬかれようと、
しゃべっていようとも、彼であると認識できない。
最近、彼はバラエティー番組にも呼んでもらっていた。
その番組も、とても面白かった。
諸事情があって継続しつづけたFCの会報はこの春まで届いていた。
そこに元気そうに笑う彼の姿もあった。
でも、あれは私のことを好きといった彼ではないのだ。
私が積んだCDやガチャのお金で、奥さんの年金を払う男なのだ。
そう思うだけで悲しかった。
 
あの日私の中から推しが消えてなくなってしまった。
未だに悔しくて涙が出るときがある。
大好きだったから。
いつか私の命が天に召されて星になったとき、
私のことを大好きとあんなにたくさん言ってくれた
彼の魂とどこかで巡り会えますように。
たくさんの思い出をありがとう。
私くらいのレベルのお金や愛の注ぎ方で
そんなこと言ってくれるな、と思う人もいるだろう。
でも私は私の愛し方で彼を好きだったので許してほしい。
私の中で彼は死んでしまった。
きっと何かを間違えて、
彼の握手会に行ったとしても
私には彼に、はじめまして、と言うだろう。
 

私には今、大切な推しがいる。
バンドマンではない彼は、
色恋営業なんてできないし、
話せる機会もずっと少ない。
それでも、黙って結婚するような、
そんな人ではないと信じていたい。
正直すぎるほど正直で、
愛らしい人でいてほしい。

追伸
そんな死んでしまったはずの推しが
最近2.5系俳優と絡み始めて本当に苛々するので、精神的にとてもよくない。
過去の推しと、推しが被りませんように。
それだけを祈っている。