愛情と矛先

君の強さは偉大なものだ

強迫観念にとらわれたくない話

どうも、ご無沙汰してます。
うにちゃんです。

新しい元号発表されましたね。
和やかな発表に、なんだか楽しみな気持ちになりました。
今までの額縁もって会見してたときは天皇がなくなって、
悲しい雰囲気の中での発表って感じだったのかなぁ。と想像したり。

私はと言いますと、
最近まで、というか今も
推しの舞台やイベントがあったりすると絶対に行かなくてはならない、
という強迫観念に駆られています。

多分1年ほど。
現場現場現場…と思いすぎて、壊れそうです。実際。
お財布的にも精神的にも。

この症状が始まった原因としては
干した舞台が思っていた以上に面白そうで悔しかった、
というのが主な理由だと思うのですが、
「全ての現場に行かなくてはならない」
という考えに至るのは、なぜなんだろうか。
あくまで私の場合、であるけど、理由をまとめてみました。

  • 沢山、推しを観れたという達成感にひたりたい

    多ステしたいという気持ちはこれに該当するかもしれません。

    私の場合、推しのこの演技が好き、とかこの表情が好き。

    ってところをじっくり見たいからってのは勿論なんですが、

    推し以外の人の演技をしっかり見る回を用意したいと思うことがあります。

    面白くもなく、アドリブパートがないお芝居だと

    割と虚空を見つめがちになることもあるけど。

  • 自分が知らない推しの言動を、同担は知っている、という苦しさ
    マウンティングばりばり、って感じの現場ではないし、
    そもそも同担とつながってないので知ることもない。
    と言えばない、のですが、推しがカテコで楽しそうだった、とかツイートで見てしまうと、なぜか悲しくなる。
    鬱期でなければ、きっと「みんなを楽しませる推しさすが~!」って喜べるのに。

  • おまいつ状態であることに安心を感じる
    2.5関連は特にそうだと思うのですが、
    いくら現場で同じ俳優のトレブロ回収していても、
    「お前推しの現場で見たことないぞ?」ってやついますよね。
    キャラ推しなら全然いいんです。
    寧ろ原作厨から見て、解釈違いじゃないならとてもありがたいですって感じなんです。
    2.5次元のときのみ推し、が存在するのが嫌なんです。
    オリジナルとかストレートの舞台とか来てお金落としてよね。って思っちゃう。
    推しに「キャラのファンではなく、自分のファン」
    「どんな作品であってもあの人は来てくれる」、「だから頑張ろう」と少しでも思ってほしいからこその行動であるのだけれど。
     
  • 推しの動員が少ないから、これを逃すと次があるか不安になる
    以前は地方でも開催されていたイベントが、東京だけの開催になったことがある。
    大阪の方が明らかに近いので、露骨にがっかりした。


多分主立っているのはこれくらいだと思うんです。
改めて書いてみると、どれも馬鹿みたいですね。
他人と自分を比べて。あの人はこんなに入ってるのに、とか
あの人はいい席ばっかり、とか。
TOになりたいわけでもないし、
認知だってずっと前からしてもらっている。
きっと2~3回現場に来なかったからって、忘れる、なんてこともないと思う。
なのに、もやもやする。
行かない、という選択肢を選べない私は脆くて弱い。
趣味なんだから、他人と比べたって仕方がないのにね。

みなさんはこういう
もやもやどうしてますか?

いまさらながらマシュマロ作ってみましたので
よろしければアドバイスなどご意見ください。

marshmallow-qa.com